研究開発に見た遠回りの結論にあきれる -水素エンジンと点火装置-


2016年11月13日日曜日

EVやハイブリッド車で、効果的にドライバーの意思を繫栄させながら、かつ強力に回生ブレーキを働かせるには・・・


EVやハイブリッド車を試乗するとき、いつも思うのは、もっと効果的かつ自然に、そして気持ちの良い回生ブレーキを使う方法はないのか、というものだが、あるときその方法に至った。

それは、いきなり最大に回生ブレーキを作動させると、ドライバーはもとより同乗者は非常に不快感を覚える。それは、立ち上がる減速力があまりにも強烈となるからである。いくら穏やかにした、といっても、減速という目的を持つわけだから、そう簡単に乗員の気持ちに即したものとはなりにくい。

そこで考え付いたのは、普通の電子制御ATが行っているマニュアルシフトと同様なことである。

ステアリングに回生ブレーキ操作用のパドルシフトを取り付け、アクセルペダルを離して、減速状態になったとき、ドライバーはその減速回生量調節のパドルを操作し、必要かつ自然な回生率(つまり減速量)を求めて、パドルを操作するだけ。

段階的な制御で、パドルを操作するたびに回生率が変化する制御でもいいし、パドルを引いているとその時間だけ、少しずつ回生が多くなる制御でも良い。

ノーマルに戻すときには、そのパドルを操作する状態から決めてもいいし、別にパドルなりプッシュスイッチを取り付けても良い。

このような装置を組み込むことでドライバーばかりではなく乗員全員が、スムーズな走りを体感できるはずだが、いかがなものだろうか?

2016年10月26日水曜日

何だ、このカブの集まりは!!! 第20回カフェ カブ ミーティング


10月22日、23日の二日間、青山のホンダ本社前で、今年20周年を迎える、スーパーカブのお祭り、カフェカブミーティングが開催された。

もちろん歩道は占領していない。整然と並べられたカブ群は、優しさにあふれているように思えたのは・・・

ホンダの青山本社ビル2Fからみた状態。柱邪魔~といいたくなる
 
正式に参加の申し込みをしたマシンは、土曜日が225台、日曜日は255台で、当日飛び入りもあったので、その数は土曜日だけでも152台。日曜日はこれよりもかなり多かったようだから、二日間で800台近いホンダスーパーカブが集合したことになる。

何かを争うわけではなく、好き勝手に改造したものや、あくまでも当時のままを保つOHV時代のカブもあり、なかなか面白く、和気あいあい。それでも人気投票は行うようで、入賞者には賞品が出る。

50年以上前のスーパーカブでも、部品が揃う限り維持し続けることは可能だ。販売台数が多いだけに、部品に対する要求も多いだろうから、メーカーはそれに応える義務は出てくるだろう。それは、欧州車(クルマとバイク)に見える状況で、戦前のクルマやバイクの部品でも、個人の工場で製造・販売してくれる状況が整っている。日本もそうでありたい。古いものを雑に扱う、消費の文化は捨てるべきであると思う。

さて、カフェカブミーティング、来年はどうなるのか楽しみである。実は、このイベントに中学時代からの友人がエントリーしていた。バイクは1962年式のスーパーカブC105(55cc)。エレファントグリーンという色で、当時からのオリジナル。

見た目を変えたいというので、海外製のダブルシートに交換した状態での出場だが、このダブルシート、あまり格好が良くない。標準のシートとキャリアがあるそうだから、来年はその標準仕様でのエントリーを期待すると話しておいた。

中央のカブが人気投票で2位となった、友人のもの。かなりオリジナル状態で管理されていた
 
このカブは、彼が2~3ヶ月ほど前に入手したもので、調子が悪いから見てくれ、と、私のところへ3度持ち込んでいる。その理由は、この時代のOHVスーパーカブを隅から隅まで知り尽くしている、という実績を私が持つからである。

なにしろ中古の初期型のスーパーカブで3年近く高校通学に使用し、その間にクランクの打ち換えを2度行い、コンロッド交換の作業はボーリング屋さんにお願いしたが、他の全てを自分でこなした、という実績を持つからである。


2016年10月20日木曜日

電気のコンセントやプラグが熱を持っていたら、危険。それを回避するには


少し古くなっているコンセントのプラグだが、よく見ると汚れが・・・この状態で使用すると、ヘアドライヤー、電気釜、電子レンジなどの電気の使用量が多い製品では、プラグに熱を持ち始め、かなり高温となることも。

接続抵抗が問題なのである(先日の東京電力地下ケーブル火災も、接続抵抗が関係しているのではないだろうか)。

つまり、要求されている電流がスムーズに流れていないことが原因。接続が悪いと、端子間でスパークのようなものが発生し、それは熱も発生する。

エネルギーロスとなるわけだが、そのような場所には熱を発生し、最悪火災となる。

そこで、この接続抵抗をゼロにするため、プラグを磨いたりするのだが、それでも回復はしない。接点復活剤(コンタクトスプレー)を使うといいのかな、ということでやってみたが効果なし。
接点復活剤では役に立たなかった。エンジンコンディショナーは、キャブの汚れやインテーク関係のスラッジも溶解するので、プラグの接点の汚れにも効果が有るようだ
 
プラグ部分は真鍮であり、真鍮の汚れはキャブレターの詰まりや汚れ取りと同様なものが効果があるのでは。ということでガレージにストックしてある、エンジンコンディショナーを小さな器に吹き出し、それを綿棒で擦りつけるように塗る。

使用する量は少々でOK
 
たったこれだけでプラグからの熱は解消。

エンジンコンディショナーを直接噴出して塗布すると、回りに飛び散る量が多くて、匂いが残るので、綿棒で擦るように塗り付ける
 
ということは、管ヒューズの取り付け部分にも効果がありそう。古くなくても接続抵抗が発生しそうな形状だからな。

ワイヤーハーネスのコネクターも、かなりのものが真鍮であり、ここでも接続障害が発生していて不思議はない。

そのため、エアバッグ関係のコネクターは、金メッキされたものが使われる。接続抵抗や導電抵抗の少ない金属は銀なのだが、表面が酸化皮膜で覆われるため、長期間安定した状態が保てない。

このようなことから、古いバイクやクルマの維持管理では、エンジンコンディショナーをうまく使用することが大切であるという結論。

2016年10月5日水曜日

業界の大先輩がまた単行本を出した。タイトルは「無我夢走」


その人の名は「大久保 力」さん。我々は親しさを込めて、リキさんと呼ばせていただいている。

私がこの業界に入ったときには、八重洲出版(モーターサイクリスト編集部)を退社されてしまっていたが、MC誌でバイクの試乗記などを主に執筆し、当時読者だった私には憧れの存在だった。

その後、私がMC誌に勤務していることは、自然と知ることとなり、初めてモーターサイクルショーを開催するときにも、相談されたことがあった。そんなこともあり、付かず離れずの関係は長く続いている。

そのリキさんは、これまで自身で体験してきたことや、その時代のバイク、自動車の話など、事細かく記した単行本を(自費出版だから利益は度外視)発行している。

今回発行された本のタイトルは「無我夢走」(1800円+税金)。日本初の自動車レースに飛び込んで、というサブタイトルが付く。表紙は4輪レースにチャレンジしたときのスナップを使っている。

本の内容は、購入して、お読みいただければ納得の出来ると思う。

若き日のバイクとの出会いから、最近のレース事情。突然届いたマカオからのレース招待状。そこでリキさんが見たものは・・・

日本のバイクレースについて書いている「百年のマン島」も、時代背景を時々交える編集は、十分に読み応えがある。実は、何を隠そう、この本の一部に、私が関係しているのだった。

2016年9月4日日曜日

ホンダの新型スポーツカーNSXは、先代モデルのような問題が発生するサスペンションの採用はしなかった


先日発表された、新型NSXは、見事に変身を遂げていた。先代ではプロトタイプのメディア向け試乗会で、足回りのおかしな動きに対して、サスペンション開発担当者と、けんか腰の質疑応答までに発展したのである。

当時の我々の試乗会におけるテスト走行では、アクセル全開でステアリングから両手を離す、ということを行っていた。その目的は、路面の凹凸などの影響を受けたドライバーが、無意識のうちにステアリングを操作していることが多いからである。

その話はこのくらいにして、とにかく気持ちの良いスポーツカーではない走行性能に、どうにも腹が立っていた。そのときの雑誌には「走行安定性に疑問あり」という表現を書き記した。

で、なぜそのようなことが起きたのだろうか。サスペンション開発担当者だって、このような状態でOKとは思っていなかったので、その問題を最後には認めた。

サスペンション構造のコンセプトとしては、サスペンション(フロント)が作動しても、タイヤ(ホイール)にトー変化が起きないというもの。確かに理想的なのだろうが、逆にトー変化をうまく利用して、ドライバーの感覚よりも先を行くような走りが出来ないこともない(そんなクルマがあった)。

サスペンションが作動(上下に動く)しても、そのことによるトー変化を抑制するには、かなり複雑でゴムブッシュを各所に使用しなければならない。

問題はここにある。ゴムブッシュは普通に製造すると、その弾性にばらつきが多く、あるクルマメーカーの方が研究した結果、±20%に及ぶという。つまり最大40%の硬さの違うゴムブッシュが出来る。

このゴムブッシュを使ったのでは、計画通りにサスペンションが動くはずもなく、ダメ車のレッテルを貼られることになる。

ゴムブッシュの研究をしっかりと行っていた自動車メーカーの担当者は、「そのばらつきが出たのでは、自分達の目標とする足にはならないので、ゴム屋と綿密に研究を行い、最終的には±7%(定かではないが一桁だったと思う)にまでこぎつけたという。

そんなわけで、先代NSXは直進性の悪い、かつコントロール性も問題を抱えた状態で見切り発売された。このマシンで、モータースポーツにチャレンジしたドライバーは、優勝できるまでに数年掛かってしまったほどである。問題がどこにあるのかを見極めることが難しく、フロントサスペンションの動きを止める、というところまでなかなか進まなかったのだろう。

コントロール性と直進性の悪さを少なくするためにメーカーが取った方策は、前後ホイールのトーを大きくつけるというもの。その結果、改善されたようには思えないが、タイヤの磨耗は恐ろしいくらいにすごかった。普通に高速道路を走らせているだけで、リヤは4000km程でツルツル。フロントは6000kmぐらいだったと記憶する。当時勤めていた会社の別の編集部が、このNXSを購入して、長距離テストなどしていたから、素性の悪さをしっかりと見ることが出来た。

新型NSXは、フロントのロアアームにダブルジョイントを用いたWウイッシュボーン。これによりキャンバー変化を小気味良く使用。更にステアリング操作することで仮想キングピン軸が前後に動くもの。その結果、外側のタイヤに踏ん張り感を強く発生させ、安定したコーナリングと、コントロール性を得ている。

ロアアームを2本としたダブルジョイントサスペンション。ステアリング操作することで、タイヤの性能を滞りなく使いきれる。基本的にはWウイッシュボーンなので、走行性には疑問を挟む余地はなさそうだ
 
ロアアームをダブルジョイントとする方式は、日本車では珍しいが、欧州車ではかなり前から、ごく普通のセダンにも採用されていた。アッパーアームをダブルジョイントとする方式は、アウディが数十年前から確立させており、これも同様にステアリング操作することで外側のホイールアライメントにはキャスター角が多くなり、内側ホイールは少なくすることで、回り込みが素直で、粘りのあるハンドリングを実現している。


さて、ホンダの新型NSXはどうなのだろうか? 試乗する機会もないので、結論を導き出せないが、先代のモデルに出ていた問題点をしっかりと把握していれば、素晴らしいスポーツカーが誕生、ということになるだろう。

2016年8月29日月曜日

防災倉庫に保管するモーターボートエンジンはガスエンジンとしたい


最近の自然災害で多いのは、洪水。その洪水が起きたときに役立つものは、ボート。ゴムボートなら管理も簡単で、数人を運ぶことに長けている。もちろん動力が欲しいのだが・・・

その動力としてはガソリンエンジンを使用したものが一般的

いざとなったときにエンジンが始動するかの確認は、ぜひやっておきたいのだが、その後の管理を正確に行わないと、翌年には始動不能に陥る。始動確認で使ったガソリンが問題となるのである。

ガソリンタンク内は空にしても、キャブやダイヤフラムポンプ内にガソリンを残ったままにしていると、長期にわたる保管でガム状に変化し、燃料が送られなくなったり、キャブが詰まったりのトラブルとなる。

そこで、ふと考え付いたのが、カセットボンベのガスを使ったガスエンジンを、非常用モーターボートエンジンに応用できないか?というもの。発電機にはカセットガスボンベを利用した小型のものは数年前から発売されているが、モーターボートエンジンとなると、ガスエンジンが無いように思うのだ。

メンテナンスが省けるし、始動性も良い。チョークなどないから、エンジン始動後には直ぐに使用可能となる。どうだろうか?もう市販している???

2016年8月24日水曜日

自作モーターボートも載っている、1966年のモーターマガジン社オートバイ誌に掲載された我が懐かしき記事


ガレージ上の倉庫を整理していたら、懐かしい雑誌の切抜きを発見した。今は亡き母が額に入れて保管していたものである。

それが、このモーターマガジン社発行の「オートバイ誌」。見開きの取材記事で、今週のトピックスというページ。タイトルは「ぼくらのオートバイ工房」。

当時はかなりのバイクを所有していたのである。もちろん全部にナンバーが付いている状況ではないが。

父が使っていたクルマの車庫をベースに、バイクを入れながら、そこで整備が出来るよう作り変えた。今考えると、どう見てもきれいではない。まるで汚いポンコツ屋状態。

右下の写真が自作したモーターボート。トレーラーも自作。エンジンは隣の倉庫に保管してある
 
ここで目を引くのは、モーターボートの写真。キャプションにはポンコツエンジン25馬力のスコットとあるが、それは間違いで(そう説明はしていないが)、知り合いの方から譲ってもらった、アメリカ製のマッカラー400ccである。

写真のボートはもちろん手作りで、14~15フィート(自宅の部屋の中で工作していたので、そのことが可能な寸法となった)。耐水合板を使用して自分達で製作したもの。真鍮の木ネジを使うが、マイナスドライバー対応しかない。もちろん電動ドライバーもない。手のひらに多くの豆を造りながら合板を貼り付け、組み上がったら20Kgほど油性ペンキを塗りつけた。そしてエンジンも完全に修理したが、そのときに覚えた判断力と技術は、その後の取材でもかなり役に立った。

例えば今でこそ、コンロッド大端部のカチ割り製作は普通になったが、当時でも(エンジンとしてはたぶん1963年ぐらい)加工技術の高さはすごい。それも4ストロークではなく2ストロークエンジンでの話だ。ニードルローラーが回転部分には使われる。その状態でも、全負荷(アクセル全開でそれ以上回転が上がらない強烈な負荷)に対応する耐久性が保たれていたのだ。

当時はモーターボートを所有する人などいない。運搬するトレーラーもバッテリー溶接機を用いて自分達で製作し。好き放題に荒川、秋ケ瀬堰の上流側など、走らせていた。もちろん邪魔扱いされることもなかった。

数年後には、船舶免許が必要となったが、進水式の素晴らしさ、感動を味わってしまった人間にとって、モーターボートを乗り回すことに飽きてしまっていた。当時、伊豆の三津浜に別荘を持つ知り合いから「船舶免許講習会の会場に来て、席を立たず、寝ていてもいい。住所・氏名など書いて申請書を作っておけば、目が覚めたら、そこには船舶免許があるのだから・・・」と2回ほど誘われた。でも船舶免許は取らなかった。そのことについて後悔はしていない。燃え尽きたのだろう。

なぜそこまでして、浜の漁師に船舶免許を交付しなければならなかったのかというと、「当時でもお年寄りが多くいて、その方の中には字もろくに書けない人がいるから、講習会と試験をやったところで、合格しない。船舶の運転にかけては数十年のキャリヤがあり、その中で学んだことは、船舶法に則しているので問題ない」のだが。

で、字がろくに書けない、読めない方が、船舶免許を持たないと、翌日から漁に出られない。そうなると・・・というわけで、船舶免許講習会というより、船舶免許与える会なのである。

モーターマガジン社のオートバイ誌が取材に来て、コネクションは出来たが、私が就職した会社は八重洲出版社モーターサイクリスト編集部だった。

当時の八重洲出版には、母方の従兄弟が勤めており、その方から社長への推薦もあって、無事就職できた。ただ、その方と私が従兄弟であることを、当時の社員で知る人は社内でも数人だけだった。あえてまるで他人のような振る舞いをすることで、仕事に支障が出ないよう配慮していたからである。