研究開発に見た遠回りの結論にあきれる -水素エンジンと点火装置-


2015年6月2日火曜日

数式を使わない、クルマの走行安定性の話・12/17


エンジンブレーキ状態での挙動安定性が、ばかばかしい事故を防ぐ

クルマの姿勢安定性を見極める最良の手段は、アクセルを放した瞬間に現れると思 う。足で掻くこと(駆動力を路面に伝える)で安定性は高くなるのが普通。それの反対になれば不安定要素は非常に高くなると考えた。

エンジンブレーキ状態で何も起きなければ、ドライバーは僅かに起き始めるクルマの挙動を感じて(これが大切で、大きく挙動を乱したときにはコントロールは難しくなる)、それに対処するためのドライブテクニックなど必要なくなる。つまりパニックになる限界点がクルマ自身で高くなるようにできれば、例えドライバーが持つところのオーバースピードでコーナリングを開始し、勝手に危険を感じてその途中でアクセルを離しても、クルマが挙動を乱さなければ何事も起きないはず。

例えば、足の速い動物が崖を駆け下りるとき、自身が落下する速度よりも早く足を動かし、常に前進させる力が加わっているから、転倒することなく下まで到達できるが、それでも、崖の高さが高くなれば、疲労と落下速度に足を合わせることができなくなり、転倒することになる。しかし、これは自然界における、足(タイヤではグリップ)のグリップ限界を超えた状態で発生することを、それ以上の早さで動かすことでグリップを回復させることにより生まれる、と考える。とはいうものの、いくら足の速い動物でも、崖の途中で向きを変えることはできない。

それはつまり、前足のどちらかに対して、ブレーキが掛かるように作用させなければ、ベクトルを変化させることが不可能であるからだ。落下に近い状態から、右もしくは左にベクトルを変えるということは、落下速度よりも早く動かしていた足を止めることになり、グリップとコントロールは失われるため、転落に結びつく。これをクルマに例えればスピンになると思う。

では、クルマにおいてはどうなのであろうか。タイヤの持つ物理的なグリップの限界点は、タイヤをどのように動かすかでも大きく変化する。ポテンシャルを確実に引き出せるサスペンションとボディの設計が必要になることは明白。ところがこれが難しい。例えコンピューター上で理想的に動くサスペンションができたとしても、実際にクルマに取り付けて走らせれば、まるで違った動きを見せるからだ。

当然、設計思想どおりにクルマは安定した走行性を得られない。勢いサスペンションを固めてタイヤの動きを抑制したところで、もって生まれた素性は変わらず、クルマの挙動をダイレクトに感じる分、コントロールを失う前に、それをカバーできることで、いかにもクルマが良くなったかのように錯覚してしまう。しかし、実は良くなっていない。サスペンショ ンを固めて、コーナリングでのロールを制御すれば、どのクルマも全てタイヤの性能に依存することになり、クルマに合わせた特性も何も関係なくなる。

コーナリングでの安定性を確認する、最重要項目は、エンジンブレーキ状態で、いかに自然に曲がることができるか、それにつきるわけだ。これを高い次元で完成させることによって、ドライバーの疲労は少なくなり、ばかばかしい事故も少なくなると考えている。このような素晴らしい性能を持つクルマが、日本には存在した。それは2001 5月に発売となった、三菱ランサーセディアワゴン・ターボ・ラリーアートエディションである。標準モデルと同日に試乗会が行われ、標準モデルにおいても素晴らしい操縦安定性は、評価するに十分な性能である。(別に三菱の肩を持つわけではない。真実を伝えるだけである)強烈な真実は次号で・・・